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花嫁衣裳の由来

2019.09.26

現代の結婚式の様式は様々で花嫁が着用する物としたらドレスを憧れとしている人が多いのですが、古来より日本の伝統的な民族衣装として伝わる婚礼和装・白無垢・色打掛・大振袖があります。
今回のきものラボは、未婚女性が最後に着る日本の第一礼装、白無垢、色打掛の中で使用される小物や装飾品にもそれぞれどんな意味や思いがあるかを調べて行きたいと思います。
きっと、大切な日がより深く素敵な日にかわると思います。

白無垢

日本古来の和装の中でも最も格式が高い衣裳の白無垢。
室町時代になって足利幕府により礼道教育が始まりました。小笠原流、伊勢流などの礼道が確立して婚礼の法式などが生まれ、婚礼の衣裳も定められました。この頃は、幸菱文様(さいわいびしもんよう・小花で型どった菱形の幾何学的な文様)の表着に白打掛が着用されたようです。

白無垢の特徴である白色は「太陽の色」「身を清め、神聖な儀式を行う」とされた神聖な色で心の美しさを象徴し、凛と引き立たせてくれます。
日本人にとって白は、生まれた時に着る服と、死者に着せる服にも使われます。このことから生まれ変わりの意味を表し、生家の娘として一度死に、婿家の嫁として新たに誕生するということです。
「死ぬ覚悟で嫁ぐ」という重い意味が、白無垢には込められています。
白無垢の衣装の時のみ、綿帽子を被ることができます。

色打掛

白以外の打ち掛けが「色打掛」と呼ばれるものです。色打掛の時は角隠しを付けます。

「掛下」という小袖を着て、その上に色鮮やかな打ち掛けを羽織します。赤や金など打掛の色は様々あり、柄も縁起の良いものをあしらわれ、とても華やかです。
室町時代から江戸時代にかけて武家女性が婚礼衣装として使っていたのが始まりとされていますが、やがてその豪華さ、美しさから裕福な町人や豪農にも広がりました。
昔は白無垢より、色打掛の方が格下でしたが、今では同格の衣装として着られています。
ただ、白無垢から色打掛に、お色直しするのには意味があり「今までの自分を一度真っ白に戻し、嫁いだ家の色に生まれ変わる」とされています。特に「赤」は血の色として「生まれ変わり」を意味しています。
だから、赤が多いんですね。

引き振袖

引き振袖
一般的なふりそでとは違い、引き振りにの場合は長い裾をおはしょりで調節する事なく、そのまま引きずる事ができます。
振袖の中でも「大振り」・「本振り」・「引き振り」と呼ばれるがその中でも格が高いものです。
江戸時代には上流階級の婚礼衣装として着られたのが始まりとされています。衣装の特徴としては裾や袖に綿が入っているのでふっくらしており、引きずっても足元に絡まないようになっています。
挙式では「角隠し」をして合わせるのが正式です。


黒引き振袖
引き振袖の中でも色が黒の物を「黒引き振袖」といいます。
黒色は「今後、嫁ぎ先以外の色に染まらない」「これ以上あなた以外の色に染まらない」という誓いの意味があり、強い覚悟を表す着物です。
袖だけに文様の入った黒引き振袖を購入すれば、結婚後既婚女性の礼装である「黒留袖」にリメイクして着ることができます。明治、大正の頃には黒引き振袖が主流でした。
挙式では「角隠し」をして合わせるのが正式です。

綿帽子

美しいシルエット・ドレスのベールと同じく、挙式が済むまで新郎以外の方にはお顔を見せないという意味があり、真綿をひろげて作った、女のかぶりもので、白無垢を着た時のみが使用できる被りものであります。
室町時代から安土桃山時代にかけて上流階級の夫人が顔をさらさないように小袖を頭から掛けた「被衣(かつぎ)」に由来し、のちに婚礼の時に新婦が使うようになったといわれています。
また、髪型は、文金高島田とも呼ばれ、日本の的な高い髷(まげ)を結った髪の上に、頭をおう形で被ります。
似たような感じの物として、婚礼の異称ですが置き綿・額綿などがあります。
 ※ 置き綿・・・・真綿を平らにのばして頭にのせる綿帽子。
 ※ 額綿 ・・・・江戸初期、歌舞伎で、月代(さかやき)を剃った男優が女性に扮するとき、額をおおうのに用いた綿。

角隠し

昔から長い髪の毛には霊力が宿るとされ、新しい家に災いを持ち込まないようにと考えられおり、怒りの象徴である角を隠す事によって征順でしとやかに妻になるとういう意味が込められていました。
角隠し起源は、室町時代に米売やタタラ場の女たちが頭に白い被り物(被衣かつぎ)をしていることからの由来でもあります。
また、角隠しは「揚帽子」(絹の羽二裏を付けたもの)で明治の終わり頃から「角隠し」と呼ばれるようになった。

花嫁の日本髪の結いと髪飾り

現代の花嫁の日本髪として知られる「文金高島田」と呼ばれる日本的な髷や、または自分の髪の毛をアップにあげ、花の髪飾りを使用する人がいます。
文金高島田は江戸時代後期に御殿女中や大名家の姫君がゆった格式ある島田髪でした。明治以降になるとそれが清楚な髪型として良家の子女に好まれるようになり、後に花嫁の正装として定着するようになった。
明治以降の婚礼衣装は財力や身分に合わせて大きく分けて「真」「行」「草」に分類されていました。
「真」・・・おすべらかしに小打ち掛けと緋袴(あかばかま)
「行」・・・文金高島田が根結いの下げ髪で白無垢に綿帽子を被った武家スタイル
「草」・・・文金高島田に角隠しをかけ、本来はお色直しに用いた黒や紫の留袖を着た略装スタイルである。
この事から解ることは、3月に飾られるおひな様や天皇家の結婚式は、日本の中でももっとの格式高い物だと伺えます。

日本髪の桂で使用する髪飾りには、簪(かんざし)があり前後二組の簪(前ざし、後ろざし)がセットになっています。昭和初期から前ざしが銀製のびら簪をさした。


花嫁五点セット

懐剣・・・武家の女性が自分の身を守る為の護身用としてもたされていました。
筥迫・・・化粧品ポーチなようなもので江戸時代後期の女性が化粧品を入れて持ち歩いたといわれています。
抱え帯・・・着物の裾をたくし上げた時、裾を押させる為に用意した帯の事で、女性の動きを自由にした事から、女性の自由の意味もあります。
帯締め(丸うけ)・・・婚礼衣装では必ず筒状の布に綿がはっている丸ぐけを使用し、本結びでしめます。永遠に続く幸せという意味があります。
末広・・・「末広がり」とういう扇子の形と言葉から「行く末に幸せがあるように」と末広と呼ばれるようになりました。金が外側を向くのが一般的になっております。

五点セットの中には入りませんが、草履はかかとに高さがあるものを履きます。打掛や引き振袖は裾を引き為です。白無垢の時は白色。色打掛の時は金色を履きます。

花嫁衣裳のおはしょりについて

なぜ、打掛を着るときおはしょりがないのでしょう?

普段着物を着るときには必ずおはしょりがあります。しかし、なぜ、花嫁さんの時はないのでしょう?
明暦の大火[1657]より前の上流階級の方達は、帯結びの結びを前にしていたようです。以後の江戸中期には、現在の花嫁の打掛のようにおはしょりがない着方に似た着用法でした。
下着だった”掛け下”のキモノが(今のキャミソール.タンクットップ,が上着化した様に)上着化して着用される様になりました。

この頃になると模様が豪華なり、細帯から現在の様な広帯に発達し、キモノ形や着用法が大きく変化しました。
家ではおひきずりで。外では腰のあたりまでたくし上げる着方がのこっていましたが、明治中期から着物の着方が変わり、普段の段階からおはしょり分を先にとってしまう着方になりました。
しかし、花嫁衣裳については、お引きずりはエレガント、豪華というのがのこり、昔のままのおはしょりなしが今も尚残っています。

まとめ

今回、花嫁の衣裳から小物に関しては、打ちかけに秘めてある色や柄にもいろな意味があり、日本独特の奥深さを知りました。
嫁ぐ日の花嫁は悲しそうな中に美しさがあり、その中にもうち秘めた堅い覚悟があったと伺えます。
打掛衣装の柄に、鶴が多いのは巣立つ我が子の姿と重ねた親の思いなのかもしれませんね。


担当:佐野・藤野

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