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産着に込められた思い

2019.05.31

お宮参りとは、この世に性を受け産れてきた子に対して、その子に最初に行うお祝いの儀です。
家族の幸せを願う気持ちを形にした大切な行事、お宮参りに身に着ける産着にはどんな思いが込められているのか。
筆者も2人の子を授かり、子供の人生の幸せを願いながらお宮参りに挑んだ体験を踏まえ、
産着についての思いや作りについてレポートしていきたいと思います。

お宮参りの由来、歴史と背景

お宮参りとは
お宮参り(または産土参りと呼ぶ。)地方にもよりますが、女の子は生後31日目、男の子は生後32日目にお参りします。
*東北の山形では51日目に行うそうです。

赤ちゃんが産れた土地・太陽・風・海・山等の自然に宿っている、すべての神様「産土神(うぶすなかみ)」に赤ちゃんが無事に産れた事を報告し感謝の気持ちを伝え、健やかな健康をお祈りする日本の伝統行事がお宮参りの言われです。

赤ちゃんが産れると、その土地に宿る産土神の一柱が「守護担当神」になり、その子の生涯に渡って寄り添い守護してくださると言われています。

この伝統行事が一般化されたのは、室町時代の頃からです。
この頃の参拝者は、出産後しばらくの間「産の忌み(さんのいみ)」「産の穢れ(さんのけがれ)」などと言われていたそうで、基本的に産んだ母親は神社には行かず、夫と姑が赤ちゃんを抱っこして参拝するのが風習でした。

出産の大変さは今も昔もそんなに大きくは変わりませんが、
昔は今ほど医療が進んでいなかったので、出産は「死」や「血」を連想され、
現代のイメージとはかけ離れた印象を受けるかもしれませんが、「深く戯れた体をしている」と考えられていました。

ですので、出産後6日間は産婆さん以外誰もその部屋に入ることはできなかったり、木のたらいに塩を入れてはいったり、さらには、台所のかまどには火の神である「お荒神(おあらがみ)」と呼ばれる女神がいて、「穢れ」を忌み嫌うという言われから、産婦は台所に入ってはいけない、使用するにしても別火を使用しなければならないとされていました。

日本の行事やルールは誰かが言い出した事だと思いますが、現代では「そうだったんだ」と言う感じですが

昔は母親にはあまり良い事では無かったのですね。


産婦さんが参拝するには?

昔は、姑と夫と赤ちゃんのみが神社にいき参拝するのが習慣でしたが。

どうしても一緒に行きたかった明治時代の産婦さんは、
水で体を清め、そのままお宮さんまで全力で走り参拝し帰ると。
冬場でも汗をかき、そのまま乾布摩擦をし、大切にとっておいた「あられ」を棒禄(ぼうろく)で炒ったといわれています。
産の穢れに厳しかったこの時代。本当にお宮参りにいったかどうか?までは、はっきりとわかっていませんが、そう言い伝えられています。

忌みや穢れが重視されなくなったのは、戦後と考えられています。
どの時代も赤ちゃんと一緒に居たい気持ちは変わらず、掟破りかもしれないが、参拝前に鳥居をくぐらなければいいということから、
産婦はお宮に入るときは、鳥居をくぐらずに門の外側から入って、お祓いがおわり帰るときには姑、産婦、赤ちゃんのみなそろって鳥居をくぐって出るそうです。

この儀礼の精神は今も受け継がれ、月経の時は鳥居の外から出入りする方もいるそうです。

お宮参りの産着の文様と絵柄

産着でも七五三同様、男女で絵柄や文様がそれぞれ違います。
ではどのような絵柄が主流でしょうか?しらべてみました。

男の子

鷹:眼と爪。鷹は大空高く舞い上がり「物事の本質を見抜き、先を見通す力」
  幸運をつかむ力

兜:災害や邪気から守る、大事な後頭部を守る

龍:大地と水の神である龍。また天に上るその姿から出世や飛躍を願う意味もあるそうです。

女の子

鞠:刺繍や金彩で彩られ、貴族遊びとされていた鞠。高貴や品を表すのに好まれていました。

すず:昔から鈴は音で魔物や獣などの敵を追い払うお守りであると考えられていたと同時に、見方や神様を呼び寄せる合図とされていました。
   一番身近になるのが、神社に参拝する際、おさい銭の箱上に大きな鈴があり、ならす風習が同様で残っています。
※女の子には鈴。男の子には笛や太鼓の柄が多いのは女の子の鈴と同様の意味合いがあります。

桜:桜は日本の国家の花であり、いろいろな着物に多くとり入れられています、自衛隊・消防・警察等の徽章(きしょう)にも使われていますね。

桜は愛されるという意味の他に、稲作の神が宿ると言われています。

男女、共通の文様

束ね熨斗:
今でもお祝い事に使われている熨斗。その熨斗を何本か束ねたものを束ね熨斗といい、たくさんの人たちからの祝福を受ける事や人と人との絆、繋がりを表しています。
※束ね熨斗は、このような意味合いがあるので、黒留袖(母親が着る着物)の文様によく使われています。

紗綾型(さやがた):
卍(まんじ)つなぎの一種で,卍をななめにつらねた連続模様。
紗綾(さや)は4枚綾からなる地合の薄い絹織物で、その地紋に用いられたのでこの名があると言われています。

この系統の模様は名物裂(めいぶつぎれ)に多くみられ,おそらく明治時代の中国から伝わったものであろうとされ
日本では,桃山時代ころからの染織品の模様に多く用いられています。

絹の織りの一種である綸子(りんず)の地文はほとんどが紗綾形で
これに菊や蘭などをあしらったものが,紗綾形綸子として使われました。
麻葉文様:
正六角形を基礎にした文様で形が麻の葉に似て言うといわれています。
麻は成長が早く、丈夫でまっすぐ育つ植物です。
繊維が取れ・食べられる・油も取れるなど、昔から人の暮らしに大きくかかわってきたものです。
また文様の意味は邪気払いと魔除けです、
その文様を着物や着物の長襦袢の下模様として用いられる事も多く、体全体を覆い身を守るということで使われています。

鶴:
昔からの言い伝えで「鶴は千年、亀は萬年」ということばがあるように、
長寿の願いと共に、おめでたい吉祥文様として打掛・留袖等の数多くの着物に描かれてきました。
鶴は二匹一緒に生活することが多い事から、良縁に恵まれる夫婦円満となることを願う思いが込められています。
産着では男女ともに使われることが多く、女の子には折り鶴。
男の子には「向かい鶴」という二匹の鶴が「菱(ひし=ヒシガタ・水生の一年草、4弁の白い花を咲かせる)」の中に向かい合うという、おめでたい地模様が使われます。

文様と模様の違い
美術・工芸における模様の様式をさすことばとしては、「文様」という慣用が確立しています。
また、織物、染め物などの模様を「紋様」と呼ぶことがあります。

模様[モヨー]・・・ 「文様」「紋様」を含む広い意味で一般的に使う。
文様[モンヨー]・・ 美術・工芸における模様の様式をさす場合は「文様」と してもよい。
紋様[モンヨー]・・ 特定の分野で慣用が固定している場合に限って使う。
  <例>ちょうの羽の紋様、小紋の紋様
(『ことばのハンドブック』参照)

紐飾りの由来

産着をよく見ると、襟と紐の袂(たもと)に刺繍のような飾りがあります。
これを紐飾りといいます。
紐飾りは、「迷子のお守り」という由来があるようです。
迷子になって、怖いものに糸を引っ張られそうになっても、糸が着物からぬけて捕まらずに済むようにと言うおまじないの意味が込められているようです。
なので、襟の裏に紐飾りをした際には糸を止めずにあえて切り離しておくようにしてあるそうです。
今は同じものが使われているかはわかりませんが、昔はその紐飾りの中には「鳥の子」という、今でいうと「ふすま紙」のような上等な和紙をつかっていたようです。
紐飾りの模様には男女の違いの絵柄はなく、熨斗や扇子という様々な模様を、紅白の絹糸で刺繍して、最後に3~4センチ糸を出しておくようにします。
また、付け紐をつける際は、男児は縫い目が下向き、女児は縫い目が上向きになるように縫い付けられています。
付け紐は長さ95センチ、幅4センチです。

この事と関連するのが、男女の着付けの帯の締め方の違いです。
男の人の輪が上になるように結ぶため、右が上になります。そして女の人の時は、その逆で輪が下になるように結ぶので左が上になります。

着物は柄行だけでなく、男女で縫い方も紐の付け方さえも違うのですね。
「そこまでかんがえてあるのか!」と驚きました。

背紋飾りについて

背紋飾り(せもんかざり)

産着は着物サイズで言うと一つ身(ひとつみ)と言います。
一つ身とは、身長の一つ分の布地、約30センチ幅で脇に縫い目があるように仕立てられ、新生児から二歳までの子が着る着物の事を言います。
なので、三つ身は二歳から四歳、四つ身は四歳から七歳と言われています。

背文飾り
大人の着物には、必ず一本の縫い目があります。
しかし、子供の着物には一つ身で仕立てられるので縫い目がありません。
そのため、「目」の無い無謀な背後から魔物が忍び込みやすいと考えられていたようです。
背縫いのかわりに、背紋飾りや背守りを付けたようです。
飾りも、いろいろな色で描かれる梅、鶴、亀、トンボ・松 等があります。

背守り(せまもり)

背守りは、背紋飾りと意味は同じですが、飾る縫い方ではなくて「糸じるし」のような縫い方に意味があるようです。

今の産着には、この背守りはほとんど見られなくなりました。
一見、知らない人が見ると、なぜ背中に仕付け糸みたいなのがついているんだ?と感じる方も多いと思いますが、それが背守りです。
紐付けの時と同様に、背守りにも男女それぞれに、縫い方の違いがあります。
男児は陰、雄針で縦、左斜めに小刻みに縫う、女児は陽、雌針で縦と右斜めに大刻みに縫います。
糸の幅は10センチほどで、日本の12カ月や12干支と同じで12という数の12針で縫います。
結びは玉結びをしても、そのままでも良いそうです。
糸の色は紅白、または五色(赤・青・黄色・白・黒)の糸を使用します。
ですので女児のほうが縫い目をたくさん出すようです。
*家紋に日向紋と日陰紋があるのと同じような事なのかもしれません。

残念な事に、背紋飾りや背縫いは、古着などアンティーク着物で一度見たことがあるくらいで、最近では殆ど目にしなくなりました。
しかし、自分の子供用にオリジナルで作るものまたいいかもしれませんね。

昔の人は着物に背縫いをついけていましたが、近年では子供の肌着に付ける事がブームらしいです。

まとめ

昔の人は、着物の柄や地文様等に願いを込めて、尚且つ、愛しい大切な自分の分身でもある子を守る為に、糸でお守りを付けた・・・。

素晴らしい!母が子を思うのは、ずっと変わりませんね!
なぜなら、本当に自分の命を削ってまでも、自分の分身を大変な思いをして産むのですから!

また、産むことができたからこそ、いつもどんな災害や困難がきても立ち向かえるようにという思い。
2人の子を持つ親として、心打たれました。
日本の伝統・・・本当に素敵で愛情あふれることなので次の世代にも伝えていきたいですね。

書記 藤野